僕の人生ギャグ

僕の情けない笑える半生を晒します!

僕の生誕~幼少期

僕は1989年バブル絶頂期に東京都の武蔵小金井で生まれた。

 

親父は小料理屋の板前

 

お袋は美容師で群馬県から集団就職?で都心に就職

 

二人のなりそめは聞いたことがないが、僕が生まれてからは武蔵小金井駅前で小料理屋を経営していたそうだ。

時代背景もあり、経営はそこそこやっていけた。

しかし、バブル経済崩壊後、小料理屋を利用する人もいなくなり、廃業。

 

のちに親父はタクシー運転手に、お袋は生命保険のセールスマンに転職。

住居も東久留米の安いアパートへ引っ越した。

 

僕はこの時、保育園児だった。

親父は料理と釣りが好きで、お袋より料理は上手だし、よく釣りをしに海へ連れて行ってくれた。

いまでも僕は海が好きだ、潜在的に好きで、理由はない。

多分親父が好きだったから、親父が好きなものは自分も好きだということなのか。

 

この時のお袋の記憶はあまりない、いつも親父と一緒にいた。

そんなとき、妹が生まれた。

僕とは3つ違う、親父似の丸顔でかわいい。

 

親父は男の子の僕をよくかわいがってくれた。

 

親父の赤い原付スクーターのステップに僕を立たせて、近所の団子屋によく連れて行き、磯部団子を買ってくれた。

いまでもどこかで見かけると買ってしまう、思い出の品だ。

親父はこのころからよくパチンコをするようになった。

元々温厚で優しい、料理好きないい親父だった。

当時は風営法も緩く、親父と一緒にパチンコ店に行っても問題なかった。

親父がパチンコ台から離れるときに僕が変わりにパチンコを打つことも問題なかったし、よく代わりに打っていた。

親父がパチンコに夢中な時はよくニチレイの冷凍食品の自販機(高速のSAにあるようなやつ)のから揚げか焼きおにぎりを買ってもらっていた。

しなしなのから揚げがおいしくて、とても好きだった。

 

このころの記憶はほとんど親父との記憶しかない、親父は本当に僕をかわいがってくれた、大好きだった。